Topics教員インタビュー

「京都メソッド」から始まった「反転授業」とその海外展開

京都大学 化学研究所・物質-細胞統合システム拠点(iCeMS) 上杉志成先生

上杉先生は、ケミカルバイオロジー分野でのアイデア創発に焦点を当てたMOOC「001x The Chemistry of Life」を2014年4月から毎年1回ずつ、5年*にわたって配信されています。京都大学初のMOOCを制作するようになった経緯や、配信開始後、これまでに取り組まれてきた様々なご実践について、お話を伺いました。

* 本記事公開時(2018年5月)。インタビュー当時(2017年1月)は4年目のため、記事内では4年としています。

せっかくやるなら徹底的に、「京都メソッド」で

上杉先生は、もう4年にわたってMOOCを配信されていますが、まずは、そのきっかけについて伺ってもよろしいですか。

松本前総長からのこんな電話がきっかけです。
「インターネット講義というのがあり、edXからオファーがあった。誰にお願いをしようかと考えたところ、上杉さんの名前がポーンと頭に浮かんだ。ということでやってくれないか」。

すぐにご快諾されたのですか。

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正直、大変だなと思いました。でも、口では「喜んでやらせていただきます」と答えました(笑)。
ただ、せっかくやるなら、「京都メソッド」とでも呼ばれるくらいのことをやろうと思ったんです。松本前総長に色々と提案してみました。大変なことを嫌々やると本当に大変ですが、楽しんでやれば、大変さもやわらぎます(笑)。

「京都メソッド」ですか。具体的にはどんな工夫をされたのですか。

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上杉先生が出された「くすり座」の課題から生まれた「一家に1枚 くすりの形」(クリックして拡大)

一つ目は、第一回目講義の課題として出した「くすり座(Drug Constellation)」の試みですね。

通常の講義の場合、受講者には自分のアイデアを手描きの化学構造式とイラストで表現して提出してもらっています。これは、コピぺを排除し、評価スピードを上げるためなのです。この手法をMOOCでも採用し、edXのサイト上に化学構造式描写ソフトとお絵描きソフトを組み込みました。

その上で、「くすり座」の課題では、売上高100位以内の小分子医薬品の化学構造式とその形を模したイラストを、受講者にオンライン上で作成し提出してもらいました。星の位置を単純に記憶するのは退屈ですね。でも星座に置き換えると面白くなるでしょ。「くすり座」は化学構造式を面白くするのです。

「バーチャルからリアル」を繋げた初回MOOC配信

「くすり座」ですか。ただ受講者の数を考えると、採点はなかなか苦労しそうですね。

その採点方法も、「京都メソッド」の一部です。「くすり座」やそれ以外の宿題にPeer Evaluationという方法をとりました。まず、受講者同士で相互に評価してもらい、そこで上位となった宿題だけをこちらで手動で採点するのです。
初年度に、成績優秀だった受講者6名を実際に京都に呼んだのですが、そのときは、2万人いる受講者の中から、Peer Evaluationと手動で80名強に絞った上で、さらに幾つかの課題を課して、その結果をもとに6名を選びました。

上杉先生が日頃「バーチャルからリアル」へと仰っている話ですね。

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6名の成績優秀な受講者を日本に呼んだときの写真(iCeMS提供)

そうです。日本初のedXコースを伝説にするために、何かアイデアはありますかと松本前総長に尋ねたんです。そうしたら、「受講者が2万人もいるなら、何名かトップの人を選んで京都に呼んだらどうだ」というアイデアが飛び出しました。「それ良いですね!でも費用がかかりますね。総長、お願いします」とお答えしたんです。そうしたら、実際に費用を捻出されて、6名全員を呼んでくれました。

彼らは本当に京都にやってきて、私のリアル講義に参加しました。優秀な受講者ばかりで、ネットだけでこれだけ精密に選抜できるとは正直思っていなかったですね。そのうちの2名はその後、日本国国費留学生に選抜されて、私の研究室の大学院生になりました。

学生の教育も含めて「一石二鳥、三鳥」に

オンラインで講義をするということについて、最初に一番苦労されたのはどこでしたか。

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上杉先生のMOOCより。講義映像の撮影は主にiCeMSの建物内でおこなった。

まずは、撮影です。人を相手に講義をするというのはずっとやっていて慣れていますが、カメラ相手に講義したことはそれまでなかったのです。方法を模索するために、最初は撮影用スタジオに観客を入れてやってみたんです(笑)。京大にいる外国人の学生さんを4、5人集めてもらってやってみました。ただ、こちらの緊張が彼らにうつったのか、笑いもなくシーンとしてしまい、緊張感のあるスタジオになってしまいました(笑)。

これだったら観客を入れずに撮影した方が良いだろうということになったのです。いつも講義をするiCeMSの2階でスタッフだけで撮影しました。結局のところ、慣れが必要ですね。

問題作成、とりわけPeer Evaluationでも苦労された点が多かったんじゃないでしょうか。

問題作成については、iCeMSで当時研究員をしていて、現在講師となったペロンさんに手伝ってもらったので、そうしんどくなかったですね。また、Peer Evaluationそのものも、文字どおり受講者同士の評価ですので、一度作成してしまえば、こちらが関係することは特になかったです。Peer Evaluationで評価の高い回答とそれ以外の回答とを実際に比べてみたところ、前者の方が良い出来で、仕組みとしても機能していたんじゃないでしょうか。

関連して、良かったこととしては、Peer Evaluationで上がってきた上位500名の回答を評価する際に、そこから最終的に6名を選ぶという目標があったことですかね。そういった目標がないと、なかなか意欲が湧かないじゃないですか。またその際、私たちだけでなく、京大で対面式の講義を受けている学生にも、評価に参加してもらいました。オンライン上の学生の回答を評価できて、評価を介して現実の学生の教育もでき、さらに京都に呼ぶ学生を選抜できます。「一石二鳥、三鳥」のような形となって良かったですね。

MOOC最大のメリット「反転授業」

これまで4年間MOOCを配信されてきた中で、ご自身の中で変化したことはありましたか。

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MOOCは大変だけれど、大変さが報われている気がすると語る上杉先生

変化はありました。一つ目は、こういったビデオ講義に慣れたという点ですね。二つ目は、オンライン講義の良さを感じることができたという点でしょうか。それまで慣れていた講義が、ライブのようなものだとしたら、MOOCはテレビのようなものです。言葉遣いであったり色々と気にしなければならない要素が出てきますよね。

最初はその違いに戸惑いもあったのですが、一旦慣れてしまうと、英語で全世界に発信している以上、沢山の人が見てくれるという点で、メリットが感じられるようになりました。
撮影も含めて授業は大変だけれど、大変さが報われている気がします。

三つ目が、「反転授業」です。MOOCがなかったら反転授業を始めなかったですからね。過去4年間の変化で最も大きい変化が、この反転授業ができることになったことです。

上杉先生といえば、「反転授業」というイメージがありますよね。

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京都大学初のMOOCを公開するに際して開いた記者会見の様子(iCeMS提供)

はい。先ほど松本前総長から話があって、MOOCを始めたというお話をしましたよね。そこで、最初に記者会見を開いたときに、ある記者さんにMOOCを始めることは京都大学にとってどういうメリットがあるのですかと聞かれました。

そのとき私たちは、「京都大学にとって何が良いかといった、そういう小さな問題ではなくて、世界的な社会実験の一つです」と答えたんです。
一般的には、テクノロジーは格差を生みます。じゃあ、テクノロジーで格差をうめようということです。それがMOOCです。「英語を理解する能力とインターネットさえあれば、誰でも一流大学の講義に参加することができるのです。そうすれば世の中はどうなるだろうか、という壮大な社会実験です」と。

ただ、そのときは見えていなかったのですが、4年間やってみて、今答えるなら、反転授業ですと答えたいですね。

反転授業、そんなに大きかったですか。

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上杉先生の反転授業の様子。対面授業では、受講者の積極的な発言を促している。

それはもう大きいですね。反転授業を取り入れることで、京大での私の講義をインタラクティブなものにすることができました。講義は自宅でインターネットで受けて、授業内では演習や議論に集中するので効率が良くなりましたね。

京都大学の授業は、もしオンライン講義を既に作っているなら、全部反転授業にした方が良いとも思いますね。実際に受講者のアンケートでも、もっと反転授業形式の授業を受講したいという声が多いです。

これまでにMOOCを配信された先生の中には、反転授業を試みている先生も何人かいらっしゃいますね。

そうなんですね。それは良いことですね。京大にとって一番良いのはそこだと思いますね。
確かに当初話した壮大な社会実験という側面もありますが、そこで気づけていなかった実際的な利益というのが、反転授業にはありますね。

「グローバルMOOC」の利用が促す、日本人学生の「気づき」

その際、edXやCouseraといったいわゆる「グローバルMOOC」から出すのか、日本語のMOOCから配信するのかで違いはありますか。

反転授業そのものだけで言えば、別に日本語でも良いと思っています。ただ、日本語だと一度作った講義ビデオは日本人にしか届かず、それだけだと「一石二鳥」にはならないんじゃないかな。
反転授業だけを目的にしたら、日本語で自分の講義を作って公開して、それを自分の授業で使って、と「一石一鳥」ですよね。

そこで、もし日本の他の先生が使いたいと言えば、使ってもらったらいい。ただ、それだけだとまだ「一石二鳥」には届かないかもしれません。日本語を理解できるヒトは世界人口の1~2パーセントです。沢山の人に見てもらって、先ほど話した社会実験に貢献しながら反転授業ができるとなって、ようやく「一石二鳥」になるんじゃないかと思います。

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あと、英語で配信して良かったのが、受講者の自信がついたというところでしょうか。英語の講義ビデオでついていけるかなって、最初は受講者も不安がっていたんですが、やってみたら全員ついてこれました。

アンケートの中には「英語の大切さが分かった」というのもありましたね。世界の人はみんな英語でこの授業を取っているんだと実感することで、世界の広さはもちろんですが、同時に「英語もやらなあかんな」っていうのに気付くみたいです。これが普通なんだと。

反転授業で生まれた、対面授業でのゆとり

以前先生の授業を拝見したときに感じたのが、課題を与えての作業にはもちろん時間を割かれていますが、それに対するコメントやビデオの内容の補足説明にも十分時間を取られているな、ということでした。
そのあたり意識していることはあるのですか。

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対面授業時に解説を加える上杉先生。後ろにあるのが、MOOCの撮影でも使われた電子黒板。

そのあたりはこちらも色々と考えているところですね。受講者はみんな一度ビデオを見ていますから、ある意味臨機応変に対応できます。

反転授業をする前は、説明だけで終わっていました。反転授業をすることで、課題作業とコメントに時間を当てられるようになりました。

一見関係のない雑談から入られたとしても、最後には必ずその話をアイデア創発の話に繋げられますよね。

あれは「合わせ」っていうんです。全然関係のない話に見えるけれど、最終的にちょっと関係している。落語の基本手法で、「仕込みオチ」ともいいます。非常に有用な方法です。
反転授業をやって時間の調整がしやすくなった分、合わせについても余裕ができましたね。

海外の教員に向けた反転授業の実演-事前学習はMOOCで対面授業は現地教員が

「合わせ」ですか。先生の授業の「ノリ」やテンポの良さは、一つには落語から来ているのですね(笑)。反転授業は海外でも試みていらっしゃると聞きました。

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ACBI(Asian Chemical Biology Initiative)のHP(画像クリックでトップページへ)。

それは、JSPSの国際プログラムとの関係ですね。

ACBI(Asian Chemical Biology Initiative)というそのプログラムは、私たちのやっているケミカルバイオロジーという学問の種をアジアの新興国に植えていくというものです。

そのプログラムの一環としてACBI Sponsored Classというのを開いてます。例えば、ベトナムやフィリピン、インドネシアといったアジアの国々に行き、授業をおこなうというものです。前もってMOOCを視聴してもらって、私が出向いて反転授業をパッとやってくるのです。先日は中国の復旦大学で反転授業をしてきました。そこには、学生はもちろんですが、教員も参加していましたね。

教員も参加していたのですね。

そうなんです。復旦大学では若い教員が数名参加していました。
そこで私が何をしたいかというと、現地の教員にこんな授業のやり方もあるというモデルを伝えたいんですね。そしてできれば反転授業をやってもらい、必要なら私のMOOCを使ってもいいと伝えるのです。

事前学習は上杉先生のMOOCを利用して、対面授業は現地の先生がおこなわれるのですね。

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反転授業のモデルを提供したいと語る上杉先生。

そうなんです。そういうモデルを提供できたらいいですね。実際にやり方をみてもらって、じゃあ自分のところでやろうかと、MOOCを利用しつつ実際の講義ではその国の言葉でそこの先生がやってくれたら良い。私が京大でやっているような講義を、色んなところでやってもらえたらと考えています。

MOOCを通じて思いついたティーチングリソースのシェア

ただ実際にやってみると難しいんじゃないですか。

そうですね。反転授業は難しいです。ただ、学生は喜びますし、授業中に眠る学生がいない!効率は間違いなく良くなります。あと、今は知識をインターネットからだいぶ獲得できるようになったじゃないですか。知識を生む力が重要だと思ったら、反転授業が良いと思いますよ。

教員の負担軽減という観点からいうと、もう一つ海外の同業者と一緒にしていることがあります。ティーチングリソースのシェアです。先日もホーチミンで、日中韓・シンガポールのケミカルバイオロジーを専門とする教員が45人集まって、そういう話をしました。

ティーチングリソースのシェアですか。

そうです。みんなそれぞれの大学でケミカルバイオロジーを教えているのです。どうせみんなケミカルバイオロジーを教えるなら、それぞれが得意な分野のスライドやビデオを持ち寄ってシェアしましょうという取り組みです。そうしたら授業準備の労力はがくんと減るんです。

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時折同じ分野の研究者の方が登場するのも上杉先生のMOOCの特徴。左は、東京大学の小澤岳昌先生

トップ校の大学の先生は、本音では研究したいんですよ。教育はできるだけ楽しんでやりたいけれども、あまりエフォートは割きたくない。その時間と労力があれば自分の研究を何とかしたいと思うはずです。
ただ教育はちゃんとやらなければならないですし、そうなると楽しく効率良くやりたいですよね。教育に割く自分の労力が減るというのは大きなインセンティブになりますよ。

そういったアイデアはMOOCを通じて思いつかれたのでしょうか。

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そうですね。授業の効率化、世界的な授業、日本の教授ではなくアジア教授、といった思いはもともとあったのですが、それに対する具体的なアイデアがなかった。MOOCをやってみて、反転授業やティーチングリソースのシェアを思いついたんです。

その意味でも、MOOCの取り組みは「一石二鳥、三鳥」になって良かったです。今後もMOOCの内容に修正を加えて、世界の多くの人たちにインパクトを与えるものにしたく思います。

この度はお忙しいところ、ありがとうございました。

(聞き手:酒井博之・田口真奈・香西佳美/記事構成:鈴木健雄/
インタビュー実施日:2017年1月26日/本記事公開日:2018年5月28日)

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