Topics教員インタビュー
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数学講義
京都大学 大学院理学研究科 伊藤哲史先生
伊藤先生は、京都大学のスーパーグローバル大学創成支援「京都大学ジャパンゲートウェイ」における国際的な教育発信の一環として、MOOC「004x Fun with Prime Numbers: The Mysterious World of Mathematics」を2016年1月より配信されました。つい難しいと思いがちな素数を取り扱った講義でしたが、4回にわたるMOOCでは幅広い年代の受講者が集まりました。
数学を本格的に勉強したことはないという人に数学の面白さを伝える
まず先生がどういった経緯でMOOCを制作されるに至ったのか、そして初めてMOOCを作るように言われたときの率直なご感想を教えてください。
ある日突然、『MOOCをやりませんか』と言われ、あまり心の準備ができないまま始めてしまいました。これまで京都大学が公開講座をインターネットで配信していることは知っていましたが、MOOCではそれよりさらに普段の講義に近い形で配信しますよね。例えば、シラバスもありますし、宿題や期末試験もあります。そういうオンライン講義があるということは、今回担当するまで知りませんでした。
実際にMOOCを制作されて、準備や制作に関して通常の講義と違う点はありましたか?
講義のテーマを決めるところまでは同じなのですが、普段の講義だと学生の反応に合わせて説明を補足できるのですが、MOOCの場合はあらかじめどういう反応があるかを想像しながら講義の内容を作らないといけないため、準備は大変でした。
また、edXの登録者は、下は10代から上は80歳までいると聞かされて、どの層に焦点を絞って講義を組み立てていいのか分からず、最初は戸惑いました。最終的には、高校数学レベルの知識は有しているが、数学を本格的に勉強したことはないという人達に数学の面白さを伝えることを目標に講義を組み立てていきました。
数学の歴史に関するクイズや、好きな素数を掲示板に書き込むといった課題を出されるなど、数学を専門的に学んだことのない受講生向けの工夫もされましたよね。その点も受講生のモチベーション維持につながったのではと思います。
そうですね。
数学の講義らしい教材作成
先生の普段の講義ではデジタルテクノロジーを使われることはあるのでしょうか?
例えば出前授業など、短時間で内容を効率よく伝えなければならない場合にはパワーポイントを使うこともあります。でも普段の講義ではほとんど使いません。これは多分、慣れの問題もあると思うのですが、やっぱり数学を理解するには数式を書いて、それをふんふんと頷きながらノートをとって講義を受けることが大切だと思います。画面上で数式をパッパッパッと切り替えられても、なかなか頭に入ってこないのではないでしょうか。私の場合は、ローテクですが、黒板に書きにくいグラフなどは配布資料で補うことが多いです。理論的な部分は黒板でゆっくり説明して、ちょっと計算例を見ましょうといってプリントを参照すると、そういうことはやります。
とはいえ、MOOCでは電子黒板を効果的に使っておられました。テクノロジーを使った講義をされてどのようにお感じになりましたか?
電子黒板で講義をしたのは初めてでしたが、使い方によっては便利なこともあるかなと思いました。例えば、素数を求める方法には『ふるい法』と言って、数を全部書いてから、素数以外の数を消していくという方法があるんですね。それを黒板で実際に行うと結構大変なので、電子黒板にあらかじめ数表を用意しておいて、そこから数を消していく様子を見せると効果的だと思います。
情報を一方的に与えるような使い方をするときには、電子黒板やパワーポイントを用いた講義形式は有効だと思います。ただ、数学において理論や計算技術をちゃんと身につけるためには、やっぱり手でガリガリ書かないといけない部分もあると思っています。つまり、テクノロジーを使って教える部分とアナログに教える部分の組み合わせが重要だと思います。私は、普段の講義では板書とプリントを併用して、必要に応じて手元で計算をやらせることも多いです。
MOOCの講義内容を紹介するトレイラーの中でも、『紙と鉛筆があれば、この講義は大丈夫!』と紹介されていましたね。
はい。少し難しい計算問題も出しましたが、紙と鉛筆で解ける問題がほとんどでした。掲示板の書き込みにも、『こんな計算できないよ』といったクレームのようなものや、『コンピュータに計算させました』といったものもありましたね。一見、紙と鉛筆だけでは計算できない問題も、次の週に計算上のトリックを使った解法があることを電子黒板で式や数字を書きながら解説することによって、受講生には『こういう風に計算すればいいのか!』と気付いてもらえるように工夫しました。
日本人の受講生からは、数式を解いていくプロセスが電子黒板では限られたものしか残らなかったので、MOOCでも普段の講義のように解法の過程を残したまま説明されてもよかったのでは、という意見も聞きました。
もっともな意見だと思います。普段の講義でもパワーポイントや電子黒板を使おうとは、まだ思えないのが率直なところです。京都大学の理学部の教室には大きな黒板が上下左右に4~6枚もあったりするので、説明の途中で前の式に戻って『そういえば、この部分の計算はこうなってましたよね』と補足・確認しながら進めることができます。でも、電子黒板を6画面同時に使うことはできませんよね。黒板の重要性を意識したことはあまりありませんでしたが、普段の講義で使っている黒板の効果を認識できたというのは、私にとっての収穫かなと思います。
普段の講義ではしにくい質問や学生同士の交流ができるという点は、MOOCの利点かなと思います。
実際にコースが始まると、掲示板では受講生からの書き込みが相当数ありました。対面式の講義と違って顔が見えない受講生達とやり取りしていくことはいかがでしたか?
掲示板はもっと混乱するのかと思っていたのですが、意外と分別をわきまえた書込みが多かったと思います。掲示板上のちゃんとした質問には、できるだけきちんと答えるように心がけました。
質問の数も本当に多かったですよね。
大抵の質問は、単純な誤解だったり、シラバスを見れば書いてあるようなことが多かったと思います。質問をしている人は、きっと中身は全部分かっているのかなと思いました。つまり、以前に自分で勉強したことがあって、その上でMOOCでもう一回勉強して、ちょっとここ説明分かりにくかったんだけどどうなのかなと思って聞いてる。だから、『あなたは分かってて聞いてるでしょ?』とは思ったのですが、掲示板では他の人もやり取りを見るわけですから、出来るだけ丁寧に答えるようにしました。
普段の講義では、質問を受け付けるツールや機会は用意されていないのですか?
特にそういうものはないですね。やはり、講義中に質問するというのは勇気がいりますよね。大学の講義は受講生も多いので、なかなか質問しにくいと思います。普段の講義ではしにくい質問や学生同士の交流ができるという点は、MOOCの利点かなと思います。
学問分野を知ってもらうツールとしてMOOCは非常に強力
MOOCを制作、配信したご経験を踏まえて改善点があれば教えてください。
講義内容については改善点は結構あると思います。特に、一週目が公開された時点で掲示板での受講生の反応を見て、説明不足な部分がいろいろとあることが分かりました。普段の講義であれば、翌週の講義の冒頭で説明を追加することも可能ですが、MOOCだと撮影・編集の手間もあって難しく、フラストレーションがたまりました。逆に、これは私の個人的な意見ですが、大学の講義は一方通行と言われることもありますが、実際には受講生との間に言葉にならないコミュニケーションがあって、それを活用しながら講義を進めていたのだと思いました。今回のMOOCは4週間、嵐のように終わってしまって改善点を考える余裕はなかったですね。
課題についても改善点はありますか?
ちゃんと分析しないと分かりませんが、今回、普段の講義ではあまり取り扱わない類の質問、例えば『好きな素数は何ですか?』といった問題も入れたため、物足りなかった受講生もいたようです。もう少し骨のある問題を入れた方がよかったかなとは思います。ただ、MOOCの場合は受講生の幅がとても広くて照準を合わせるのが難しいです。どうすべきだったのかということに関しては、私自身、今でも答えが出ていません。
アンケートに『もう少し難易度の高い問題を出してほしい』と回答している受講生もいました。本当に難易度を上げることが継続して受講することに繋がるのかは分かりませんよね。
やはり、できたという達成感が、受講を続ける動機づけに繋がったのではないかと思います。例えば、問題を5問出して、1問は予備知識が無いと難しい問題も入れますが、1問はそれこそ『好きな素数は何ですか?』というような、すべての受講生に対応できる問題を入れないと多くの人が満足してくれないと思います。
今回、何千人単位で受講生がいたということで、それはすごいことだと思いました。京都大学だと通常の講義はせいぜい50人、大教室で行う出前講義等でも100~200人です。それに比べると規模は桁違いで、150カ国以上から受講生がいました。しかも、1時間程度一方的に話すだけでなく、課題を出したり、掲示板でディスカッションができる。そういうことを考えると、数学のような、あまり普段きちんと知ってもらえる機会が少ない学問分野を知ってもらうツールとしてMOOCは非常に強力だと思います。
(聞き手:岡本雅子・酒井博之・田口真奈・香西佳美/記事構成:奥本素子/
インタビュー実施日:2016年5月13日/本記事公開日:2017年5月15日)
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